2005年12月18日

殺人考察1

まず最初に、これは殺人を肯定するものでも否定するものでもないということだけは断言しておく。
ああ、否定しないのはまずいな。
言い換えよう、殺人を肯定するものではないことは断言しておく。

なぜこんな頭がおかしくなったとしか思えないようなモノを書こうと思ったのか。

最近、どうも理由の見えない殺人事件が多すぎる気がする。
理由が見えない、というより、今までの殺人動機にカテゴライズできない動機が増えてきたといった方が正確だろうか。
その辺を知りたくなってきたので、ちょっと書いてみようと思ったのだ。

ちなみに、題名に関して……
パクろうと思ったのではなくて、コレが一番しっくり来ると思ったから、この題名にした。
クレームが来る様なら変えることも検討する。

あと、このコラムに関する情報は、うろ覚えなものも多少なりとも含まれる。
なるべく調べてから書こうとは思うが。
間違った知識を鵜呑みにしないよう、注意をしておく。

殺人。と聞いてまず連想するのはなんだろうか。
愛憎劇?
遺産相続?
変質愛?
その辺は火サスとかでおなじみだと思うが、自分は一番に
一方的な生命の略奪
というのを連想する。

話はそれるが、人間が社会を作り、本能を理性で抑えることを始めてからこっち、殺人が完全に禁忌となったのはいつからだろうか?
中世ヨーロッパでは、侮辱を受けた貴族は相手に手袋をぶつけ、決闘をしたという。
もちろん決闘というからには、相手か自分が死ぬ事だってあっただろう。
それを承知の上で、自分の名誉のために戦ったのだ。
日本では現在、決闘禁止法がある。
決闘を行った者のほか, 決闘を挑んだ者, それに応じた者, 決闘に立ち会った者が処罰されるらしい。
以前に、決闘罪として高校生だか中学生だかが補導されたニュースがあった。アホな学生だ。

殺人というものが完全に禁忌となったのは、やはり第二次世界大戦終結後だと思う。
日本では日本国憲法が大日本帝国憲法にとって代わられた。
そのときから、殺し合いの結果の殺人という事件がほぼなくなったのではないだろうか。
つまり、対等な条件で殺し合うというのは行われなくなり、殺すつもりがあるならば、相手に知られないように襲撃するのが当然になっていったわけだ。
まぁ当然の結果といえる。わざわざ殺す相手に殺すと宣言して殺しにくくすることの必要性などまったくない。
大抵の人間は殺した後、警察に捕まりたくなんかないだろうから、出来る限りスマートに殺したいだろう。そして証拠を隠滅したいだろう。だから闇討ち、奇襲が当たり前になる。

だから、
一方的な生命の略奪
を連想するわけだ。

さて。この理不尽な略奪にも、動機において二種類が存在すると思う。
まず、衝動的なもの。次に計画的なもの。
究極的にはこの二つだろう。
次はこれらについて書いていく。
posted by GIN at 02:21| 岩手 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 何かのコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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